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ハマルカレー店主の世迷言
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アナログ親父が世間様にとりのこされてはと、
慌ててはじめた旅ネタ、料理ネタ、諸々ネタの支離滅裂なブログです。
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伝書鳩 その2

2009/04/11 17:02
伝書鳩は名前のとおり、昔から通信に使われていました。
カワラバト(ドバト)を改良して使われだしたのですが
それもなんと、紀元前3500年のメソポタミアの頃からか?
確かなところでは、紀元前3000年のエジプトで使われていたそうです

有名なエジプトの鳩料理には、こう云う歴史も有ったんですね
有能な鳩は通信に使われ、駄目な鳩は食べられてしまう。

「か、可哀そう」

平和の象徴と云われる鳩ですが、通信の軍用鳩としても使われました。
第二次大戦時、ドイツ軍がベルギーに進駐してきた時は、
真っ先に有名鳩舎を押さえたそうです。
なんと云ってもベルギーの鳩は世界一優秀ですから

もちろん報道機関の通信にも使われ、
鳩はほんの最近まで大活躍していたのです

東洋でも、鳩を通信に使っていました
アラビア商人が持ち込んだらしいのですが
中国では鳩のことを「鴿」(こう)と呼びました

(そう云えば、ハトはつがいでいつも一緒にいます
 それでは、鳩と云う字はどうして出来たんでしょうか
 いつも、クー(九)クー(九)と鳴いているからでしょうか(笑)

とにかく唐の時代に通信に使った記録がありますし
南宋の時代には大流行し
貴族や海商人が数百羽も飼っていたようです

文を入れる筒は羽根の軸の空洞を利用し
紙は天蚕(自然林で飼う蚕)の繭の繊維を竹紙に漉き込み
オブラートのように薄い紙を作ったそうです
すごい技術ですね、千年程昔のことと思えません

通信に使う時は小さな鈴も一緒に付けたようで
到着地では、チリンチリンという可愛い音ですぐ分かったそうです。
なんとも中国的な風情です

日本にも飛鳥時代には渡来していたようです

日宋交流船には、鴿の箱があり、船長は、到着地に着くと
鴿を本国に放って無事到着を知らせました

このような鳩が増え、平安時代には、
畿内に半野生化し相当数いたようです

平安京を南北に貫くメインストリート
「朱雀大路」の大火も鳩が原因でした
「朱雀門」の楼上に唐鳩が群れて巣をなしていたのを
「後鳥羽上皇」 の命令で取り除こうとして
松明をつけたのが巣にうつり、引火し
「朱雀門」は丸焼け、そのうえ
都大路は火の海になってしまいました

鳩害も困ったものですが
あまりエゲツナイことは如何なものか




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伝書鳩

2009/03/21 17:29
中学に入り、友達の勧めでたまたま「伝書鳩」を飼ったのですが
ただ小鳥と違い伝書鳩、美しくもなく、可愛くもない
どうしてあのように沢山の人が飼っているのか理解出来ませんでした

今はあまり見かけませんが、あの頃子供がよく
家の屋根や庭に鳩舎(鳩小屋)を作っていました

5,6羽飼っている子から、数十羽の子供まで
毎日朝夕、放って訓練をしていました

鳩舎を中心に上空たかく円を描きながら飛びますが
遠目にも「伝書鳩」と「土鳩」(お寺や公園にいる鳩)は一目で分かります
風切り羽根の長さが全然違うのです、伝書鳩は長く力強く

グイグイ突進む、惚れ惚れとした飛翔を見せます

近くで見ると「土鳩」は貧弱な私達のような体格ですが
「伝書鳩」は逞しい運動選手のようで、本当に美しいのです
(飼う前は美しくも可愛くもないと思っていたのに)

そして目が良い、力強い知的な眼差しに引き込まれます

こう思い出すとハマリ、のめり込むのです

それと「伝書鳩」の愛好者の主役は大人
ですから「愛鳩の友」や「レーシングピジョン」などの月刊誌もあり
毎月出る大人用の雑誌を見るだけでも海外の情報も有り
大人に少し近づいたような楽しい錯覚もしたものです

しかし鳩は結構お金のかかるものでした
エサ代がばかになりませんし、鳩の値段も
鳩屋を通さず、子供どうしの取引でも
血統書が付いた鳩は最低何千円としました
少し良い鳩は1万円以上、子供には相当な出費です

あの当時日本で一番高い鳩はベルギーから輸入した
たしか「ユニーク号」と云う名前で百万円もしました
うん十年前の値段ですから相当な金額です
頃競走馬「シンザン」が走っていたころの話で
そして、シンザンの子馬の時の値段が300万円でしたから

そして今のベルギーには、2〜3千万円する鳩がゴロゴロいるそうです

このように面白くて仕方が無い鳩ですが
小鳥と違って、面白過ぎて勉強が手につきません、
小鳥を飼っている時は黙っていた親でしたが

とうとうストップがかかってしまいました

ただ、手放した鳩が時々思い出したように帰ってくるのです
パタパタという聞き慣れた羽音で、朝寝ていても飛び起きます

あの時の可愛さ、淋しさは、今でもよみがえります



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ペット

2009/03/08 11:58

最近のペットブームすごいですね
皆さんお疲れなんでしょうか、「いやし、なごみ」を求め
そのことによってストレスを溜めたペットのための、
「いやし、なごみ」施設も有るんですねぇ

人間がペットからいやされ、
そして人間がペットをいやす商売が出てくる

「なんや、よう分からんようになってきた」

ペットのための福利厚生、お葬式から墓場まで
ペット産業の規模は、なんと1兆円以上とか

皆さん苦しい苦しいと云いながら
「なかなか」
やっぱり日本は豊かなんですよ

しかし外面は豊かでも、内面の空白が大きいのでしょうか
公園を見てもペットを連れた多くの方を見かけるようになりました
昔はこんなにたくさん犬を連れている人はいなかった

私の友達も中年になり、初めて犬を飼ったのですが
「犬があんなに可愛いもんと思わんかった」
「そう云うたら最近ヨメさんと喧嘩せんようになったでぇ」
すごく潔癖な男なんですが
「子犬がきたときは、毎晩寝床に入れてもうたわ」
などと云い出す始末

ペットとは、このように無条件に可愛いものであります

かく云う私も、子供の頃からペットは大好き

(今は食べ物を扱う仕事柄我慢しておりますが)

子供の頃は、たいてい何かに物狂いしてますから
興味の対象が出来ますと、四六時中没頭
ありとあらゆる生き物に手を出しました
さすがに蛇やトカゲを捕まえてきたときは
母親が許してくれませんでした (笑)

しかし、色々なペット遍歴から最後にハマッタのは
「伝書鳩」と「紀州犬」でした

どなたか飼われたことありますか




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「和歌山人」

2009/02/19 16:25
日本は小さいように思っておりますが
NHK「素人のど自慢」などをみていますと
その土地、土地によって少しずつ特徴があるようにおもわれます

顔つきを見ますと、例えば大阪の地の人間は色白で
ヘチャッと平面的な朝鮮系の顔が多いですが
和歌山の人間は「熊野肌」と云われる逞し色
深目隆鼻とまでは云えないまでも
起伏のあるゴツイ目鼻立ちをしています
弥生人(里人)と、縄文人(山人、海人)の違いでしょうか
紀南人など特にその傾向があるようです

気質も以前旅館をしていたとき
広い範囲からお客様がこられましたが
県民性の違いは確かにありました

それでは紀州人とはどのようなものか
元々地形的に、幾重にも重なる熊野の山を背にして
眼前に際涯を知らぬ黒潮の海ばかりの土地ですから
不便な陸地をいくより、黒潮に乗って遠く移動する

他所へ出かけるのに躊躇しなかったようです

大昔から平気で土地を離れて長期の航海をし
その土地、土地、で出稼ぎ漁業をしました

これが和歌山人の性質に磨きをかけました

そして、陸続きにも出かける人達が続き

今、島根県に二十何代目かの田部長右衛門さんと云う
日本一の山林地主がいますが、元々は紀州の出です
13世紀頃に紀州の田部(田辺)から出かけ、たたら製鉄を始めました
たたら製鉄には膨大な木炭が要りますから
山の木が無くなると、隣の山に移り、移りした結果
今のような広大な山持ちになったようです

日本の有難い気候は30年程もすると、木を切られた禿山も
元のようになり、又その木でたたら製鉄が出来たそうです

悠久の昔からスケールの大きな話です

近くでは、日高の人が明治中頃からアメリカに出稼ぎに行き
戻ってきて、アメリカ式の家を建てたのが
日高のアメリカ村です

紀南は、その風土のゆえに進取の気風をつくりあげ、
理想主義者、反体制者を生み出したと
熊野人 「佐藤春夫」 が云っております



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 「紀州漁師」

2009/02/01 16:59
紀州は元々少ない平地のためと
隼人のように海洋民族の血を引いているのか

古代から紀州の漁師は有名を馳せていました
釣りのウキ、さまざまな網漁法から鯨の網取り漁法まで
日本の主な漁法は紀州漁師の考案らしく
他の地域の追随を許しませんでした

あのヘミングウェイまで「紀州の漁師と勝負したい」と、
晩年洩らしていたという話です

そして、漁獲した魚の加工にも長けていました

その最たる物が 「かつお節」です

たんなる干しがつおを 「かつお節」と改良したのが
御坊 印南浦のかつお漁師角屋甚太郎親子です
ナラ・クヌギ等の薪を使い、煙で燻す焙乾法を考え出しました
これが「熊野節」です

土佐沖で獲れたかつおを紀州に持ち帰らず、
土佐で加工したのが「土佐節」の始まりですし

薩摩がそれを見て紀州印南漁民の一人を招き
作らせたのが「薩摩節」です

紀州の漁師の活動範囲は、あの昔としては想像以上
九州、五島列島から房総半島、仙台沖までの広域が漁場でした

近年では明治から昭和初期までは、オーストラリアのあたりまで
オーストラリア人に頼まれ、貝ボタンの原料となる
真珠貝の「白蝶貝、黒蝶貝」をも、とりに出かけました

当初オーストラリアでは、近くの島嶼人を使ったのですがダメ
出稼ぎ中国人を使って、これもダメ
7人のイギリス元水兵を使っても、3人が死に残りは役に立たず

やがて適格者として日本人が選ばれた。その多くが和歌山人です

適格者として残っている資料を見ると

「日本人を特徴づけるものは、彼等の精力と成功への強い衝動、
および高い賃金を得たいという熱望であった。希望者が多いため
ダイヴァーとして選ばれた者は、それだけで充分優秀であった
さらに、ダイヴァーの手当ての率が、仕事のあがりにつれて高く
なるということもあって、日本人ダイヴァーは、太陽が出ている限
り働くというほどに熱心であった。」

昔の、我が愛する貧しい和歌山人
そして勤勉努力の県民性から見ると
この資料は極めて正確なものと思われます。



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 「湯浅醤油」

2009/01/19 17:43
前回の「濱口梧陵」も醤油醸造業でしたが
和歌山の湯浅が日本の醤油発祥地であることは
多くの方が知るところかと思います

醤油の歴史は古く、その原型 「比之保(ひしお)」は
2000年昔の弥生時代早期から大和時代にかけて
日本に伝来したと云われています

なお、「比之保」は和名で、中国名は「醤(ジャン)」となります

穀物を原料としたものは 「穀比之保(こくびしお)」
肉を原料としたものは 「肉比之保(ししびしお)」
魚を使ったものを 「魚比之保(うおびしお)」
このうち最も普及していたのは、「魚比之保」で
塩辛のような醗酵物として伝わったのではないかと云われています

現在のような醤油になったのは湯浅において
臨済禅の巨人の一人、心地覚心(法燈国師)
に由来するところです

信州出身の禅僧覚心は、43歳にもなってから入宋を決意し
紀州の由良から宋へ向け出帆し、6年間の滞在で
無門慧開より印可を得て、由良に戻ってきました。
興国寺を創建して開山となり、亀山、後宇多天皇等
から帰依を受け、都に住するも、煩わしさに耐え切れず
由良に逃げ帰り、終生興国寺を離れませんでした。

そして覚心さんは味噌が大好きでした
宋の径山(きんざん)万寿寺で食べた味噌が忘れられず
由良の北にある、湯浅の水の良いのが気に入り
径山寺で覚えた作り方で作った味噌が
今、私達の知っている 「金山時味噌」の祖先です

そして、径山寺味噌の底に溜った汁で物を煮ると
その旨さは、今迄のひしおの比ではありませんでした
その溜まりをさらに改良し今日の醤油の原形ができました

湯浅の濱口儀兵衛が、銚子で醤油をつくりはじめたのが「ヤマサ醤油」で
その後、銚子は日本の醤油醸造のメッカとなりました

又、心地覚心は、日本に尺八を伝えたことでも有名です
覚心の弟子の虚竹が、師より尺八の伝授を受けました
行脚の志を起こし、常に尺八を吹きながら各地を巡歴したのですが
これが剃髪しない半僧半俗、虚無僧(こむそう)の始まりです

昔の時代劇にはよく登場した虚無僧ですが

最近の、ホームドラマのようなテレビ時代劇ではトンと見かけず

淋しい限りです




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 「大地震」

2009/01/10 21:37
新年早々縁起でもないタイトルですが
年明け早々ニューギニアで大きな地震がありましたし
それでなくてもこの時期が来ると、「神戸・淡路大震災」が思い出されます
なんの因果か、大昔から地震大国の日本ですが
その中でも定期的に桁外れな地震に見舞われる紀州
マグニチュード8クラスの大地震が、100〜150年周期で襲ってくる

今でこそ地震のメカニズムが分かり、少しは考える拠り所もありますが
その昔は訳が分からず、どのように不安だったかと痛ましい限りです

そのように被災しながらも逞しく生き抜いてきた人々
そして、神様のような人が現れました

和歌山では子供の頃からよく聞かされる

「濱口梧陵」 

ご存知の方も居られるかと思いますが
小泉八雲が「生き神様」という本を書き
「稲むらの火」として昔の国定教科書にも載りました

醤油醸造業(現ヤマサ醤油)を営む浜口儀兵衛が地震の後、
高台から海水が引いていくのを見て津波を予見し

高台の脱穀を終えた藁の山に火をはなち火事をおこした
それを見た浜辺の人達が消火に駆けつけ難を逃れました

そして被災後、ただちに鍛冶屋で道具を作らせ
食料を提供し、さらに住まいを建て
漁師には漁船、魚網を提供し
海岸に当時では最大級の堤防を4年間かけ築き
人々を堤防工事に就かせることで、収入を得させ
土地から離散をまぬがれました

このように膨大な救済を浜口家の支出でまかないました

150年前の話です

助けられた村人が、「濱口大明神」という神社を作ろうとしたが
儀兵衛は絶対、許さなかったそうです。

現在のヤマサ醤油の繁栄を見ますと
「自利利他」と云う言葉に行き着きます
自利を極めれば、利他に繋がり
利他が自ずと己に帰ってくる

「自利とは利他をいう」

和歌山にも昔から多くの素晴らしい人達が出ましたが
聞いて胸が熱くなる「濱口梧陵」も、そのお一人です。




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今年も本当に有難うございました

2008/12/30 16:15
2年前の9月にカレーの通販を始めました
通信販売など始めての経験でしたので
興味が少々、後は大きな不安でした

元々は和食を作っていましたので
和食の事なら、ある程度分かっているつもりですが
それでも、自分とお客さまの間には微妙なずれはよくあることで
新しいものを作った時、思ったほど受け入れられなかったり
時には思わぬ御好評を得ることもあり

新しいものを作る時は、いつも緊張していました

それが、ましてカレーとなると、どうなるものかと
不安な船出でしたが、多くのお客様の御支持を得
安堵しているところでございます

今年は2年にもならぬ内
「あまから手帖」さんにも載せて頂けました

前に和食の店をしている時も載せて頂
今回カレーでもお世話になり

和食でも「あまから」、カレーでも「あまから」、などと
悦に入った次第です

これも偏にお客様の御支持の賜物と
感謝いたしております

今年も本当に有難うございました

良いお年をお迎え下さいませ


           店主 敬白



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縄文杉

2008/12/22 04:21
テレビも捨てたものではないようです
先月見たNHK探検ロマン世界遺産

「巨木そびえる森・屋久島」 縄文杉

久し振りにテレビで感動しました
本当は現地に行って見ると
もっと桁外れな感動が待っていると思いますが

木の周囲16m、樹齢4000年とも7000年とも云われる

 「縄文杉」

テレビからでも伝わる幾千年年を生き抜いた姿に
「あぁこれが昔の人が拝んだ神様や」
私の心の底に眠っていたアニミズムも目を覚ましたようです

樹齢千年以上の杉を屋久杉と云うらしいですが
それらの樹木がうっそうと茂る山を見ると
まさに「神域」
自然を忘れた今の人間には計り知れない息遣いがありそうです

屋久島は全山花崗岩で出来ており
卵の殻のような薄い痩せた表土が花崗岩を覆っています
そこに落ちた杉の種が、稀に見る屋久島特有の雨量の中で芽を吹き
身を削るようにして育ったのが屋久杉です

生まれてから鉛筆程の太さに育つには
十余年の時間がかかるそうです

成長が早い本土の杉では考えられない事ですが
この成長の遅さが、何千年の命につながるようです

人間にも当てはまりそうな自然界の摂理
早熟は早老につながるんですね

このように掛け替えの無い自然をなんとしても守らなければならない
それは、人間のためにではなく、あらゆる自然のために
なぜなら太古より人間は自然によって生かされてきたのですから

そのような中で人々は、自然こそ神々であると信じていたし
自然を敬い恐れ、そしてよりどころとして生きてきました

縄文杉も素晴らしかったが、それを護っておられる樹木医
「荒田洋一」さんのお人柄がテレビからでも伝わってきました

樹木医といわれるから
出来るだけ長生きを願っているのかと思っていると
人が訪れる事によって弱ったところは手当てするが
後は悪いところもそのままに自然な姿で天寿を待つ
倒れればそれが次世代の何千年、何万年に繋がるよう考えておられる

縄文杉や、今芽生えたような杉を見ている姿からは
宗教的なお人柄が滲み出ていました

あのような所で住んでいると
荒田さんのような方が出てくるのでしょう

やはりこのようなドキュメンタリーはNHK

受信料は払わなければ



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 「なれずし」

2008/12/07 05:16
今まで情けない和歌山の紹介になってしまいましたが
月が替わった今回こそ、美味しい自慢話を

究極の美味ってなんでしょう
カレー屋の私が云うのはなんですが
醗酵食品だと思っております

グルマンのフランス人も
チーズがないと食事が終わりませんし
食い意地はった中国人も、臭豆腐を求め街を徘徊します

もちろん食通の日本にも多くの発酵食品があります
そして、我が和歌山にも負けずに有りますよ

 「なれずし」 
別名「くされずし」 貫禄な名前ですなぁ
サンマとサバがありますが
有田地方はアユやサバのなれずしです

「なれずし」には、「早なれ」と「本なれ」があります
やはり、本当においしいのは「本なれ」

よく漬け込まれた 「本なれ」
あせの葉(笹の葉の長いような物)をほどくと
なれずしは黄色く色づき
その奥行きの深い匂いと味に
ア、ア〜 たまらん、悶絶もんです

なれずしをおかずに茶粥を食べた昔
貧しいながらも豊かな食文化でした

ウィキペディアには、
なれずしは、慣れないと独特の臭気が鼻を突くが
慣れると臭気を感じにくくなることもある。 と載っていますが

これは、「大〜きな間違いです」 あの匂いがたまらんのです
匂いの無いなれずしなど、誰が食べたいと思いますか?
匂いの無いチーズを考えればわかります

昔は小学校を出てすぐ、大阪等に丁稚奉公に行きましたが
母親が我が子可愛さに、秋になると「なれずし」を送ったものです

なれずしだと他の奉公人は、とてもじゃないが食べられない
可愛い自分の子供だけが、お母さんを思い出しながら
一人でおいしく食べられました

「親思う心に勝る親心」
母親の思いの丈がぎっちり詰まった仕送りでした

又々切ない話になってしまいました



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 「茶がゆ」

2008/11/28 18:31
この前、あまりに凋落ぶりの我が和歌山
哀れを誘うようなことを書いてしまいました

もちろん本当の和歌山は
情けない話ばかりではございません
豊かな自然に溢れています

海の幸、山の幸にも恵まれ
美味しいものには事欠きません

皆様あまりのご馳走に食傷気味な昨今
「茶がゆ」など如何なものでしょう
茶がゆと南部の南高梅の朝食は
禅味さへ帯びた、滋味溢れたものです

「紀の国」も元々は
「木の国」と呼ばれたものだとか
平地は紀ノ川沿いに僅かにあるだけで
耕地は全域のわずか一割り
後は、山が海岸までせまり
海岸沿いに民家がへばり付いております

このようなところに
「紀州徳川五十五万石」が乗り込んできた
とてもじゃないが五十五万石の米が取れる訳が無い

江戸時代年貢は普通、4公6民だったそうですが
紀州徳川は、6公4民
なんと、お百姓が一年間苦労して作ったお米の
6割も年貢に取られてしまった

さすが
「百姓と菜種油は絞れば絞るほどとれる」
と云った家康の直系です
「生かさず殺さず」 なんともえげつない

これでは紀州の人間は「茶がゆ」しか食べられなかった

紀州名物 「茶がゆ」には、こんな悲哀の歴史があるのです

江戸時代も普通 「おらが殿様」と
領主には、愛着も持っていたようですが

和歌山の人間にとって、紀州徳川家とは

搾り取るだけの、進駐軍でした
ア、ア、無くなって良かった

又々、なんや情けない話になってしまった

反省




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 新 ・ イカトンカレー

2008/11/23 07:28
やっと、メニューに載せられました
その名は、あまりにベタな名前で恥ずかしぃ・・・

「イカトンカレー」 イカと豚の具沢山カレーです

前回は強烈なコッテリ系の「チキンカレー」でしたので
(でも御蔭さまで、今一番多くのご支持を頂いています)

今回は、前回とまったく違うカレーをと
サラッとした「汁かけご飯」をイメージして作りました
行儀が悪いと叱られましたので、母に隠れて食べた
「汁かけご飯」 おいしく懐かしい思い出です

スパイスも量的には同じ程使っておりますが
素直なスパイス使いになっております
見た感じ、味噌仕立てにしても美味しいような

でも、ハマルカレーらしい 「激辛」
もう少し優しいカレーが出来ないものかと反省するところでは、あります

イカと豚の旨味を含んだ大根を噛むと、チュワッとお汁が出
これは秀逸ではないかと、反省したことを忘れ
自画自賛しております (ややこしい)

歯触りのアクセントには、凍みコンニャクを作ってみましたし

ゲソのクリクリとしたところも、たまりません

ネッ、食べたくなってきたでしょう

チョット自慢し過ぎでしょうか

今日のブログは宣伝も兼ねていますので、お許しの程



イカトンカレーのURLです、これは必見であります
http://www.hamaru-curry.com/curry/ikaton.htm



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「和歌山」お国自慢

2008/11/15 18:01
和歌山に生まれ十歳まで過ごし
その後大阪で、ン、ン十年たちます
大阪での生活の方がず〜っと長い
子供の頃の和歌山の思い出はあまりないのです
しかし、どうしたことか私の思い入れの地は、

「和歌山」

甲子園で和歌山と大阪の高校が対戦すると
絶対、和歌山の学校に力が入ります

「やっぱり故里なんですね」

ところが、私の和歌山、いたって知名度が低い
ひどい話では、中国地方や四国と思っている人がいるとか

「ほんまかいな!!」

和歌山には世界遺産 
「熊野古道」と「高野山」 、「二つもあんねんど!!」
せやけど、高野山が奈良にある思てる人も多いらしい

「な、嘆かわしい、なんでや!!」

このように忘れられ勝ちな和歌山ですが
歴史に登場するのはめっちゃっ古い
半端な古さやない
神代の時代までさかのぼります

「神武東征」が成功したのも
方々でコテンパンにやられ痛い目に合った
神武天皇が熊野に上陸し
熊野や十津川の山人の協力のもと
奈良に攻め上ったものです

「ネッ、すごいでしょう初代天皇の神武天皇ですよ!!」

このように天皇家の黎明期に関わった土地柄なのに

「お願い、もうちょっと注目して下さい!!」

お国自慢になってないがな (涙)




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シクロ (たいへんやな〜編)

2008/11/08 18:23
前回性悪なシクロを書いてしまいましたが
あれは観光客からボッタクリを狙うろくでなし
それも大人しい日本人を狙うのに悪質なのが多い
白人客など納得がいかないと 掴みかからんばかりに怒るので
そこは観光シクロ よくわきまえています

しかしシクロは
観光客も来ない昔から ヴェトナムで生きてきたものですし
今も ヴェトナム人の普通の生活の中でも利用されています
そして したたかなヴェトナム人客相手のシクロを見ていると
シクロのおじさんの苦労がみえかくれします

私の感じたところですが
東南アジアで ベトナム人が一番こすっからい
商売人だけでなく 客も負けていません
そして子供といっても 侮れない

中華街チョロンで昼食後に 残ったビールを飲んでいると
公園の歩道で 女の子がシクロのオッチャンと交渉していました
小学校1〜2年生位の プックリ太ったほんの小さな子供ですが 
オッチャンの方がタジタジと押され気味

なにを云ってるか分かりませんが・・

たぶん こんな感じ
「・・・・・まで、いくら?」
「○○ドンやで」
「よう云うわ そんな高い値段 子供や思もてナメたらアカンで」
「なに云うてんねんな オチャンそんな事するかいな」 タジタジ
「ウチいつもオカァチャンと乗ってんねん シクロの相場位よ〜知ってる」
「よう云うわ オッチャンいっつもこの値段で行ってるがな」

「もうエエわ シクロぐらい他になんぼでも有んねんから」
「な、な、なんちゅう恐ろしいこと云うねんな そんなヤケタ云うたらアカンがな」

このへんからオッチャンも 本気で慌てだします
「な、お嬢チャン、オッチャンには子供もいてるし ご飯も食べささんならん 
お金持って帰らんと オバチャン家入れてくれへんがな、 な、そんな事云わんと」

でもヴェトナムのジャリはこれぐらいのこと 計算内
プィッと後ろを向いて アサッテの方を見ています

オッチャンおろおろと 前に回って説得にかかりますが
女の子は またプイッと後ろ向き、クルックルと

哀れなオッチャンは

「もうェェ分かった お嬢ちゃんの云い値で行こ」

女の子はものも云わず さも当たり前な顔でシクロに乗り込みました

「なんと、可愛げのないガッキャなあ!!」 
子供に振り回されてるオッチャンが痛々しい

子供ん時から こないして育ったヴェトナム人
ヌクヌクと定価販売で育った日本人 

「どないです 太刀打ち出来まっか??」




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シクロ

2008/11/02 05:59
久しぶりに旅ネタを
サイゴンのシクロを思い出しました
あまり芳しい評判を聞かないサイゴンのシクロですが
私も一度でこりて 二度と乗る気が起こりませんでした

乗る前に値段を交渉して 2ドルならマアマアかと思い乗ったのですが
たいして楽しいものでもなく 怪しげな店先をとおりながら
「貴方ヴェトナムのレディー知ッテルカネ?」 キコキコ (シクロをこぐ音です)

「アホかそんなん知ってたら こんなシクロなんかに乗ってるか!!」

「ソレ良クナイネ, 淋シイネェ ヴェトナムレディー ナンバーワン」  キコキコ
「私,女イッパイ知ッテル ソオ、メニィーメニィー」  キコキコ
「日本人友達 皆ハッピーハッピーネ」  キコキコ
「貴方モ今晩 ハッピーハッピーね」
「アホ、一人かってに なに舞い上がっとんじゃ ちょっと黙ってぇ」

「ソオ、今カラ行クカネ」
「黙ってぇ 云うてるやろ!!」 東南アジアはいつもこうです

全然面白くもなく じきにホテルへ帰ったのですが 
降りると なんと5ドルといいます

「なにぃっ、 今なに云うた 2ドルやないか!!!」 当然大声が出てきます
「アナタ方々行ッタ ダカラ5ドル」
「じゃっかしぃや なにグジャグジャぬかしとぉんじゃボケッ !!!!」

なんとも下品なセリフですが 皆さんお分かりですか?

しかしこんな時 大阪弁は迫力が出ますなぁ
しかし これは下品な大阪人がはくセリフ
けっしてまっとうな大阪人は使いません・・・・   たぶん (^^;)

そして こうなると暇な人間がすぐ集まってくるのもアジア
人垣が出来上がったその中で
思いつく限りの見得を切って ギャラリーに分かるよう罵倒するのです

「ナンヤ男の晴れ舞台やな」 (いったい どんな性格やねん)

日本語が混ざっても大丈夫、日本語だけでもダイジョウブ (・・・と、思う)
なにがあっても黙ったら負け 根負けしてもダメ 
気力と胆力で相手を押し倒します

そうこうする内 有難いことに「時の氏神」が出てくるのもアジア
この時も出てきました 私の言い分が通り 2ドルでよいと決まりです

「それみぃ」 シクロの座席に2ドルを捨て置き その場をはなれました

それでもシクロのオッサン うしろでぎゃ〜ぎゃ〜わめいています
「なかなかにヤツもしつこい」

こんなことがあった次の日 「しもた!!!」 又 そのオッサンにおうてもうた
ところが、な、なんと ニコニコ笑って手を上げ 「オ〜 マイフレンド」

「あかん、アンタに負けた」 (^^;)




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足るを知る

2008/10/29 17:55
自他共に認めるテンション民族か?
たえず緊張感を強いられ
アグレッシブに前進しか許されず
たえず結果を要求される社会
そして、これを是とする世相

これでは余程意識しなければ
自分を見詰め直す時間など出来てこない
いつしか欲望ばかりの日常生活です

日本はほとんどの国と比べ品物、社会制度が充たされた国ですが
「もっと欲しい、もっと楽しく、もっと長生きしたい」という、
たえず求める声は聞こえてくるのですが
これで幸せと云う声がいっこうに聞こえてこない

社会が進めば進むほど複雑になり
欲求する種類もそれに合わせ多くなります
これでは際限がないんと違いますか

行く末の不幸が目に見えるようです

しかし、
日本人は本来「足るを知る」民族でもあったはずです

足るを知るとは、感謝することでもあるでしょう
昔の人は日々折々、万物に感謝をした
そして幸せな時間を過ごすことが出来た

いつから感謝を忘れた哀れな民族になったのでしょう

楽しみをたえず外に求めるから
心の中に欲求が渦巻きます

内の声にじっと耳をかたむければ
今までと違った声が聞こえるかもしれない
そして、思っているより幸せであることに
気付くかもしれません





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お寺さん

2008/10/25 16:42
よく云われることですが、外国に行くと時々
「貴方の宗教はなんですか?」 と聞かれます

ためらいがちに
「仏教徒」と答えるのですが
嘘をついているような、やましさはぬぐえません

かといって宗教を持たない人間などと云うと
倫理的規範も持たない人間ととられるでしょうし

私が宗教にかかわるのはせいぜい
乱読の合い間に宗教関係の本を読む程度です
本によっては、難解で途中で放り出す時もありますし
書かれていることに引き込まれることもあります

しかし日本人も心のどこかで宗教を求めていると思うのです
只、良い機会に恵まれないのと
今のお寺を見ていると?????????

「ちょっとなぁ」

日本の今のような寺組織になったもとは
徳川家康が徳川家安泰のためだけに
本末制度として、宗派の統制をはかり
檀家制度として、末寺と檀家を固定した
このようにして人の流動を妨いだようです

これでは末寺から本山に間違いなく上納金が入る
末寺も宗教活動をしなくても決まったお布施が入る

堕落のもう一つの原因は、なんと云っても寺の世襲制が大きい
もとは浄土真宗だけでしたが、明治以降全ての宗派は世襲制です
その結果、本当に宗教に関心のある人が入っていけなくなった

そして、行きついた先が
ご存知 「葬式仏教」

経済がこれだけ繁栄しているのに
寂しい話です

「ちょっと待てよ」

経済が繁栄したから
宗教がより逼塞したのかな



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歎異抄

2008/10/17 17:56
このところ「歎異抄」が再びブームらしい
先の見えない、自分ではどうする事もできない、
そんな救いの無い時代を反映してのことでしょうか

ご存知のように「歎異抄」は唯円というお坊さんが
親鸞聖人亡き後、教義の乱れに危機感を持ち
親鸞聖人から受けた面授をもとに書かれたものです

浅薄な私には、親鸞聖人というと
他力本願、肉食妻帯、と一種胡散臭さがありました

しかし他力とは、阿弥陀仏の本願力のことであり
本願とは、阿弥陀仏がすべての人を救わんとする願いのことらしいです
ですから他力を信じることは、阿弥陀仏に懸けることでした

弱い私などには日頃の欲望から解脱することなど叶いませんし
親鸞聖人でさえ「自力では、悟れぬものと悟りたり」といわれています

仏の手にすべてを任せる、「自然法爾」

他力本願はけっして何かに依存する心ではなく
どうしようもない業に素直に生き、その後は仏の手に委ねる
いさぎよい思想に思われます

ひねくれ者の私には、宗教家とは
したり顔での、偽善、欺瞞との思いが強いのですが

歎異抄を読みますと、全篇に
親鸞聖人の明け透けとも思える正直な言葉と
論理的な強い信念で貫かれている

  この方の言葉は信じられる

「念仏をすれば、本当に浄土に生まれる種を蒔くというのでしょうか
それとも地獄に落ちるのでしょうか、  それは知りません
私には法然上人のいわれたことを信じる以外、別の子細はないのです
たとえ法然上人にすかされ参らせて、念仏して地獄におちたりとも
さらに後悔するものではないのです
このうえは、念仏をとりて信じるも、棄てるも
皆様方がお決めなさることです」

「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」

「親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏もふしたること
 いまださふらはず」


「親鸞は弟子一人ももたずさふらう」

気を引かれたところを、少々書き出してみました
これだけを見ますと、一見矛盾を感じますが
全篇他力本願にそっての逆説的な論理にあっとうされ、感動します

混沌とした現在、凡夫には他力しかないように思うところです

よく 「門徒物知らず」 などと云われます
門徒とは 「南無阿弥陀仏」 と唱えるだけの、無知な愚か者ということらしいです
愚直に「南無阿弥陀仏」と精進する、それもまたよし
「大愚は大賢に似たり」ということもあります

なお親鸞聖人は世襲など肯定していないし、
そもそも教団の存在自体否定してます

自分が死んだときは賀茂河に入れて魚に与うべし
葬式は一番禁止すべきこと、墓も作らぬよう
と云われたようです





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秋ですねぇ

2008/10/11 17:17
季節感に乏しい大阪ですが
やっと秋の気配がしてきました

外に向け華やぎ楽しいのは春や夏ですが、
内を見つめ、心に残るのは秋かな
ただたんに老けてきたからかもしれませんが (^^

常夏の国でいつ見ても咲き誇っている花には
いつも何か違和感を覚えたものです
日頃感じている、花でないような

日本人には、花とは、咲き、散るもの
華やかに、豪奢に咲き誇るとき
そして来る、散りぎわにこそ心をひかれる

秋も冬に向かって季節の終わり
そのはかなさに思いがつのるのでしょうか
日本人の心の底に一番うったえかけるようです

植え込みで、咲きゆらぐ萩
紫式部も色づいてきました
冬枯れまでの、今しばらくのうつろいです

そして今日も家のまわりで虫がすだきます

秋の夜長
私には一年で一番心に沁み入る時間のようです

テレビばかり見ていては、モッタイナイ

しかし思い出しましたが、隠岐の島にいたころ
飛行場の周りに、ものすごい数の鈴虫がいました
夜、車で通ってもうるさく鳴き響きます
そして近くの部落の人も音を上げる
 
「うるさぁて 寝らりゃせんが!!」  (笑)

そう、虫といえども、自然は時として猛々しくもあるのです



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文房四宝

2008/10/04 17:38
硯、墨、筆などと出てきますと
文人が愛でた文房四宝
残るのは、紙となるのですが

私の先生が一番大切にされていたのは「唐紙」でした

昔中国から輸入された紙ですが
旧家の蔵から極たまに出てくるそうです
古いほど良いそうで、それはそれは大切にされていました

「唐紙」の原料にも色々ありますが
先生が使っておられたのは、竹から作った竹紙(ちくし)です

竹から紙が出来る。

わら半紙程の色合い、厚さは画仙紙ほどですが
画仙紙などより弱々しいはかなげな紙です
しかし発墨性、にじみ具合等でこれ以上の紙は無いと云っておられました。

少し話しがそれますが
昔学校で使った「わら半紙」、これは稲藁(いねわら)が原料
今からは想像も出来ない原料を使っていたようです
しかし今の「わら半紙」は名前だけ、もっと上質なパルプを使っているそうです

昔から絵を描くのに中国や日本では絹や紙を使いますが
絹と紙、どちらが強いと思いますか

絹千年、紙万年と、紙の方が断然強いのです

以外に思われるかもしれませんが、
紙って強いのです

だいぶ前テレビでやっていましたが

江戸時代の火消しは紙の草鞋(わらじ)を履いて、消火をしたそうです

和紙の反古紙をより、これで草鞋を作るのです
この草鞋に水を充分含ませると、釘も通さなくなります。
安全靴のようなものですね
火消しも火事場で釘を踏み抜くことが無かったそうです

チョット話がそれましたが、
先人の知恵はすごいですな



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